桂・ハリマン協定にまつわる誤謬
2ndシリーズ③「平和ボケ」日本の幕開け
では、ハリマンという人はどんな人かというと、言わば孫正義みたいな人です。財界主流でも何でもない、成り上がり者です。ホリエモンとは言いませんが、孫正義レベルです。
日露戦争では、時の日本銀行副総裁の高橋是清がユダヤの金を引っ張ってきて戦費を調達しました。イギリスの金融界に飛び込んで、政府から命を受けた担当分・公債一〇〇〇万英ポンド(現代換算約三五〇〇億円目安)の半分はなんとかかき集めたものの、残り半分の目処【めど】がつきません。そこに現れたのがニューヨークのクーン・レーブ商会首席代表、ユダヤ人のジェイコブ・シフで、五〇〇万英ポンドをなんとかしてしまいます。高橋是清がこれを、「私は一にこれ天佑なりとして大いに喜んだ」(上塚司編『高橋是清自伝』中央公論社、一九七六年)というのは、よく知られた話です。
ハリマンはWASPです。WASPとは、「ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント(White Anglo-Saxon Protestant)」の略です。確かに被差別階級のユダヤ人の資本ネットワークからは離れたところにいます。しかし、ハリマン自身は、財界傍流です。
小村寿太郎外相は、そんな傍流よりもアメリカの財界主流派とつきあおう、という話をまとめてきていました。日本政治外交史家の小林道彦氏は、『大正政変』(千倉書房、二〇一五年)の中で、桂・ハリマン協定破棄の理由について、次のように述べています。
その決定的な理由は、ハリマンからの融資の条件よりも、もっと有利な条件で外資が導入できそうだったという点に尽きる。実は小村は、満洲鉄道経営のためにニューヨークのモルガン系銀行から約三〇〇〇万から四〇〇〇万円の資本金を社債発行によって調達する計画を持っていた。これはポーツマス講和条約の日本側の代表のひとり、金子堅太郎とモントゴメリー・ルーズベルト(ルーズベルト大統領の従兄)との密談(九月初旬頃)に端を発するもので、その背景には、数年来続いていたモルガンとハリマン―クーン・レーブ連合との対立抗争が存在していた。
モルガンと言えば、アメリカ三大財閥の一です。ロックフェラー、メロンとともに、WASPの本流です。財界主流と仲よくしているところに、対立抗争さえしている傍流WASPとの話を桂首相が持ってきたわけです。そんな奴にわざわざ儲けを分け与えるわけにはいかないし、その必要もない、となるのは当然でしょう。そこに小村寿太郎がWASP本流と話を付けてきた。
だいいち桂太郎は内閣総理大臣です。誰が反対したところで桂が「やる」と言えば、それで決まりです。覚書まで交わしているものを、なかば内部事情で一方的に電信で破棄していますが、小村寿太郎がごねたくらいで、よくもこんな失礼な切り方ができるものだという話です。逆に、そもそもハリマン自体が図々しい、と言うことだってできます。
ついでに申し上げておきますと、仮に桂・ハリマン協定が、事がうまく運んだとしましょうか。桂・ハリマン協定を破棄したから云々という人たちは、では、私が『嘘だらけの日米近現代史』(扶桑社、二〇一二年)をはじめとする数々の著書の中で取り上げて批判している、狂人ウッドロー・ウィルソン大統領の登場については、いかがお考えなのか。桂・ハリマン協定がうまくいった限りは、世界史的疫病神だったウィルソン大統領の登場があったところで日米戦争にはならなかったとでも言うのでしょうか。
こうしたことを一切言わないのが、日米戦争の起源を無茶な時期に求める人たちの無茶な論理です。ハリマンをはじめ、セオドア・ルーズベルトとか、果てはペリーとかに日米戦争の起源を求める人が、不思議なことにまったく触れないのがウッドロー・ウィルソンです。
いずれにしても、桂・ハリマン協定を日本側が断ったから日米戦争になったという「ハリマン伝説」は、今や否定されてしまった俗説と言い切ってしまって、まったく問題ありません。
(『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』より抜粋)
次回は、シリーズ④満鉄と関東軍は何の為にあったのか。です。
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